EXHIBITION | TOKYO
小林耕平(Kohei Kobayashi)
「反省サイクル 絵/空/事」
<会期> 2026年10月10日(土)- 11月8日(日)
<会場> ANOMALY
<営業時間> 12:00-18:00 日月祝休
ANOMALYでは、Art Week Tokyo期間をまたぐ2026年10月10日(土)より11月8日(日)まで、小林耕平個展「反省サイクル 絵/空/事」を開催いたします。
小林耕平は、オブジェクト、絵画やドローイングとテキストが相互に影響し合う軽妙なインスタレーションや、パフォーマンスや対話の様子を記録した映像作品を構成し、会場全体を通して能動的な鑑賞を誘う作品で知られています。日常的なモノや言葉の意味、そしてそれらを「見る/鑑賞する」という行為そのものを問い直しながら、複数のメディアや行為を横断して制作を行っています。
例えば近作《Sunset/Night/Sunrise》では、絵筆の代わりに一対の手袋が用いられています。一般的に絵筆は作家の身体と絵画のあいだを媒介する道具ですが、本作ではその媒介そのものが作品の表面に固定されることで、絵筆によって描かれた「絵画」はむしろ不可視のものとなっています。つまり、絵画を成立させるための行為や道具が、絵画そのものに置き換えられているといえます。
一方で、手袋は本来、手に装着されることで身体と一体となり、取り外して持ち運ぶことのできるものです。本作ではそれが画面に固定されているため、理論上は手を入れることで作品を持ち運ぶことができるという、奇妙な可搬性も内包しています。
そこには、絵画を空間に固定された「平面」として捉えるのではなく、独立した物体として成立させるという、絵画の自律性をめぐる問いが潜んでいます。同時に、手袋には作家の身体の不在と存在が同時に刻印されており、制作行為における身体性やパフォーマティヴな側面も浮かび上がります。
このように小林の作品では、絵画というメディアを単にイメージを提示するための形式として扱うのではなく、絵画を成立させている道具、行為、身体、空間、そして鑑賞の制度そのものが問い直されます。絵画であることと絵画ではないこと、平面であることと物体であること、作家の身体が介在することと不在であることーそうした複数の矛盾や二重性を作品の内部に抱え込むことで、絵画の歴史やその制度的な枠組みを参照しながら、絵画というメディアの可能性を拡張しています。
絵画と映像、言葉と身体、そして作家と鑑賞者の関係が行き来することで、作品の意味が固定されることなく、その場で新たに生成されていく小林独自の実践は、既存のジャンルや鑑賞の枠組みを横断しながら、現代における「見ること」の可能性を問い直すものです。
今回の個展「反省サイクル 絵/空/事」は、「絵/空/事」という3つの「場」を行き来することで、作品を見ること、そして自分自身の見方を見つめ直すことをテーマとした展覧会です。
ここでいう3つの「場」とは、キャンバスに描かれた「絵」、YouTubeなどを介して広がる「空」、そして現実の展示空間であるギャラリー「事」。それぞれ異なる性質を持つ3つの場が相互に作用することで、作品と鑑賞者の関係が揺さぶられていきます。
作家がいう「反省サイクル」とは、作品を一方的に理解するのではなく、「見る」という行為を通して、作品と自分自身の見方の双方を捉え直していく運動です。
私たちは未知のものを目にしたとき、記憶や経験、既に知っているイメージを手がかりにして意味を与えようとします。しかし、そのとき作品を見ているつもりで、実は自分自身の中にある「ものの見方」を作品に重ねているのかもしれません。
本展では、そうした作品と鑑賞者のあいだにある境界を「/(スラッシュ)」という記号によって捉えます。スラッシュは、こちら側と向こう側を分ける線であると同時に、平面を横から見たときに現れる「面」の姿でもあります。その境界を隔てて作品を見るとき、私たちは何を見ているのか。そして、目の前の作品から何を連想し、どのような「場」を自分の中につくり出しているのか。
「絵は空によって、空は事によって、事は絵によって鑑賞される」という作家の言葉のように、3つの場は互いを照らし出しながら、その都度、異なる意味を生み出します。作品を見ることによって、作品そのものだけでなく、それを見ている自分の世界の配置までもが少しずつ組み替えられていく。本展は、そうした鑑賞と変化の循環を、絵画、映像、空間を通して体験する試みです。
本展は、キャンバス作品、映像およびスタジオセット、オブジェクトを用いたインスタレーションで、すべて新作で構成されます。全体に6つのタイトルを設定し、それぞれのタイトルに2作品ずつ、計12作品を展示します。
6つのタイトルにはそれぞれ対応した長編の映像作品があり、その6本の映像作品のうち1本を選び、10分程度に編集した映像を会場で上映します。
なお6本の映像作品は、全て順次YouTubeで公開します。1本目の作品はこちらのリンクからご覧いただけます。
《反省サイクル 絵/空/事 「晴れ」「曇り」》
https://youtu.be/x0wVQULdgnc
以降は順次こちらのチャンネルで公開いたします。
https://www.youtube.com/@kohei5884
反省サイクル 絵/空/事
この展覧会は、「絵/空/事」という3つの「場」によって構成されている。キャンバスとYoutubeとギャラリー(ANOMALY)である。「反省サイクル」とは、この3つの「場」の間を反省しながらサイクルする運動である。反省とは何か?それは鑑賞することによって引き起こされる。形作られたもの(作品)を鑑賞することにより、形が解体されていく。ただこの形というのは、作品と鑑賞者の双方のことである。何故ならば、作品とはスラッシュ(/)を隔てて見えてくるものであり、それは面でもある。絵は空によって、空は事によって、事は絵によって、鑑賞される。それぞれまったく異なる組成で構成された世界である故に、もし反省が起こるとするならば、鑑賞者自身の形を省みることと同時に、作品を作り替えることである。
イメージは、既存のものの合成であり、絵空事である。絵空事から現実へ引き戻す契機。それは「/:スラッシュ」である。スラッシュは面として立ち現れる(スラッシュは平面を横から見たときの見え方)。スラッシュが引かれ、現れた面に接する領域。その境界に空間が生じるならば、それはこちら側が思い描く絵空事なのか、または相手側が作り上げた絵空事なのか。
反省とは、「判断」を鑑賞することである。判断は過去に属し、作品は判断そのものである。反省は、その判断そのものというより、その判断を可能にした条件を問う。条件とは「場」であり、判断の背景である。グリーンバックは一瞬にして、我々を異なる「場」へ移動させてくれる。未知のものを見た時に既知のものを使って理解するように。連想とは、鑑賞者にとっては自身の記憶(=連想)であり、作品とは無関係である。その無関係な連想は作品を理解するための道具になる。連想は、目の前の作品からかけ離れた場にあるように思えるが、鑑賞者を構成している場の要素である。故に「スラッシュ:/」を隔てた向こう側の秩序を鑑賞することは、作品を理解するために使った自分の世界の配置が組み変わることである。絵は空によって、空は事によって、事は絵によって反省が行われ、形を変えていく。
YouTubeで公開する映像作品《反省サイクル 絵/空/事》は、展覧会タイトルと同じ作品タイトルである。この映像作品は、展覧会全体の構成そのものである。映像内では、展示空間(ギャラリー)を模した場で、絵(キャンバス)とグリーンバック(映像)を前に、私とcore of bellsの山形育弘、美術家の鐘ヶ江歓一が、「作品制作者」「鑑賞者」「映像監督」という役割を入れ替えながら、作品の鑑賞方法を模索する。展覧会の会期前から段階的に公開するため、会場を訪れる前にご覧いただいても、展覧会をご覧になった後に視聴して頂いても、それぞれの楽しみ方ができるようになっている。
小林 耕平
