卒展雑感――消えていく"大きな影"
文●松浦良介(webてんぴょう編集長)
文●松浦良介(webてんぴょう編集長)
毎年2月から3月にかけては、各美術系大学などの卒業制作展が美術館、ギャラリーなどで開催される。全てくまなくとはいかないが、今年も数箇所を見てまわった。
毎年そうなのであるが、個人的には将来のスター候補などは探していない。それよりも、これだけ多数の様々な表現が短期間に繰り広げられる中で浮かび上がってくる時代や表現への潜在的な意識に興味がある。なので、今回の展評は作品写真がない。
■絵画増加の原因は?
10年も前ではないと思うが、美術館は黒いカーテンに遮断された小部屋に占拠されたようになっていた。その中では、映像作品が流れている。そして卒展では、会場の関係で小部屋をわざわざ作ってとまではいかなかったが映像が溢れかえっていた。壁に展示されるような作品は減っていき、真っ白なままだったのである。
しかし、ここ数年でその状況は大きく変わった。白い壁には絵画が飾られ、映像が流れるモニターは会場の隅へと移動していった。
映像作品の流行は、国際展の影響だったのであろう。3回目の横浜トリエンナーレでも、多くの映像作品があった。しかし、そこに絵画はほぼなかった。ということは何が影響したのであろうか?
これは、バブルの再来とまで言われた現代美術市場の高騰であろう。新旧に関わらず多くの画廊が、20代前半~半ばの美術家を企画展作家として扱い、国内外のコレクターにアピールし始めた。海外のアートフェアへ参加する画廊も増えた。
これにより多くの若手美術家の意識は、貸画廊で数年がんばって......というものから、とにかく早く画廊にピックアップされるというものへと変わった。なんだ金か、という声もあるだろうが作品が見も知らぬ人に売れるということは、美術家を大いに勇気づけるものである。
しかしながら、最近は海外の好景気に支えられた現代美術市場の後退が顕著になってきた。税収入に依存する公立美術館の元気の無さは、国内の不景気を反映して相変わらずである。必死に時流にあわせても、先行きは暗くなってきてしまったのである。
■"大きな影"が見えない
戦後、日本美術は欧米の美術の動向にいかに敏感に反応し、解釈していくかが重要であった。しかし情報網や交通が発達してなかったので、どうしてもタイムラグが生じてしまっていた。ただ、そのタイムラグが欧米美術の様々な表現を、日本独自の解釈に育てる余裕にもなっていた。洋画と括られる作品は、その大きな結果のひとつである。
交通も情報網も発達し、海外留学、レジデンスは当たり前となった現在の学生たちには、欧米の美術は追いつき追い越すべき特別な存在といった意識はかなり薄くなってるかもしれない。
というのも、卒展もしくはそれに類似するような若手美術家の展覧会には、大抵数人の著名美術家の"大きな影"が見られたものだ。それを真似する者あり、揶揄する者あり、引用する者ありであった。また、それを追う姿勢が展覧会全体に活気をもたらしていた。
その"大きな影"が薄れた現在では、アピールするというよりはどこか内側へこもっていく静かな表現が多く、またそういった作品に今後の可能性を感じさせたものが多かった。目標を追いかけるような外へと向かう力ではなく、自分の幻想に静かにこもっていくような力。ふと思い出したのは、東京国立近代美術館で〈エモーショナル・ドローイング〉という展覧会。同展は、完成度や熟練度を追求する絵画でなく、まるでドローイングのようにどこか未完成を思わせる絵画をとりあげていた。ダイナミックな動きや、世界に君臨するような美術家がいない時代にふさわしい表現が、生まれてきたのかもしれない。
では具体的にはどうかというと、ぼんやりと人間のような形、植物のような形描かれてるものが多く、単に形が漂ってるだけの表現が多かったのは残念であったが。
追いつき、追い越すべき"大きな影"が薄れていく中、衰退気味とはいえ好調ではある現代美術市場に反応した学生が多いのは当然のことであろう。しかし、美術は美術館のきちんとした機能が復活しない限り先行きは暗い。貸画廊は否定されているが、美術館はいまや多くが貸会場化している。
これから若手、新人と呼ばれる多くの美術家たちは、自ら追うべき目標を見つけていかないと、暗闇の中でさ迷うことになってしまうのかもしれない。