〈名古屋市美術館河口龍夫展〉
二つの河口龍夫展(下)
文●宮田徹也 日本近代美術史
二つの河口龍夫展(下)
文●宮田徹也 日本近代美術史
■河口作品に「会った」ということが大切
時間軸に沿って展示した兵庫に較べて名古屋市美術館(以下名古屋)は、新作のインスタレーションを一室に展開させた。
一階企画展示室1の入口には、《関係―腰掛けた水》(1998年)が佇んでいる。蜜蝋で封印された容器が六つの入れ子状に重ねられ、水がそこに張られた状態で二脚の椅子に「腰掛けて」いる。容器の上に振子が吊られる、鉛で覆われた一粒の種が銅で出来た舟に乗り漂うという点で、兵庫の最後の作品、《関係―時の空間》と類似する。つまり兵庫の展示との連続性を指摘することが可能なのだ。この掌に乗るほどの小さな舟が、水面でほとんど動じることなく静かに佇んでいる姿を見ていると、突如、兵庫の《関係―浮遊する蓮の船》という巨大な作品を想起した。つまり《関係―浮遊する蓮の船》と、ここにある舟は、もしかしたら差異がないのではないかという憶測に辿り着くのである。
このような思案を持ちながら展示室1に入ると、そこは《関係―浮遊する蓮の船》とは全く異なる時空が展開していた。全て向日葵の世界である。入口正面には《関係―無関係・落下、集積、命の形態》(2007年)が見える。この作品は実際に後に写真で見たり、人づてに話を聞いたり、また実際に会場を訪れたとしても知ることのできない秘密が隠されている。カタログに記されている竹葉丈の解説を引用する。
「二階からおよそ2.8mの透明パイプが吹き抜け中央部、一階の床からおよそ6mの高さにその先端が位置するように設置される。一階において、観客は時折パイプに注ぎこまれ、滑り落ちる摩擦音の後に、その先端から放物線を描いて落下し、宙空に舞う種子の軌跡を見ることになる。
種子の落下点には、1993年に発表された《関係―鉛の音、種子の音》が設置された。夫人から娘に受け継がれ、長年弾かれてきたピアノとその椅子は、厚さ0.3mmの鉛によってその全面を巻かれ、梱包されている。唯一“無垢”のまま残された鍵盤の部分には、100粒のコスモスの種子を封印した鉛のオブジェが置かれる。1オクターブの長さを持つその鉛の塊りを、作家が鍵盤に落とした瞬間、1オクターブの和音が発せられるが、ピアノ自体が鉛に包まれているため、その響きは、重くこもった短いものであった。鍵盤は鉛のオブジェのその自重によって抑えられ、1オクターブの和音を発した状態でとどめられる。やがて鍵盤の蓋は閉められ、その下でつまり、コスモスの種子が1オクターブの「聞こえない」音を発し続けることになる。そして、そのピアノの上に種子が降り注ぐ。一瞬、宙空を舞った種子は、鉛で覆われたピアノの天板に叩き付けられ、弾かれ、飛散する。落下し、堆積する種子の運動は、ライトに照らされて金色に輝く」
この文章は、キャプションにはなっていなかった。それがまた面白い。秘められた世界があること、人間は全てを知ることができないこと、人は神ではないことを如実に表している。まさか音が継続されているとは、知る術がなかった。そのピアノが河口の生活空間にあったことも分からなかった。しかしこの情報を入手した上で再び作品を思い起こすと、確かに鈍いながらも透明な音が聴こえてくるから不思議である。《DARK BOX》のように未来に想いを馳せるのみならず、過去の記憶にまでも河口の作品は訴えてくる。
二階で種子をパイプに通した体験を記そう。行為が作業になってはいけない、その場を管理している学芸員が教えてくれた。自己の意志が落下し沈黙するまで、種子の運動は続く。優しく落す、激しく落す、もしかしたらまだ種子に宿ってどこかに残っているかも知れない。ここまで個人的でありながらも装置ではない。そして個性は消えいく。消えるというよりも、集積されるといったほうが的確であろう。
私は初日と最終日に足を運んだが、その様相は大きく変化していた。初日には既に種子は多く堆積し、椅子の姿を認めることはできなかったもののピアノの形態は認識できた。しかし最終日にはそれがピアノであることさえも理解できないほど、種子は積み上げられていた。そこには2t近い向日葵の種が山となって存在していた。どの段階を見ることが最上であったのかといった議論は必要ない。それは人との出会いにも似る。その人の過去を知ることは不可能である。「会った」ということが大切なのだ。会場に足を運ぶことができなかったとしても、再びこの作品と「会う」ことは可能だ。それが河口作品の特徴の一つでもある。そう予感させる、時間と空間を揺らがせるのは、この展示室に展開している一連の作品群の関係性にもあるのかも知れない。
「関係―無関係・落下、集積、命の形態」(2007年)
■「幻視」の中の「幻視」
展示室内に順路を示す矢印がないため、見る者は自分の好みで作品に接することが許されている。しかしながら一つの物語を創り上げるとするなら、《関係―無関係・落下、集積、命の形態》を眼にした後はこの作品に近づかず、入口向かって左にある《関係―無関係・立ち枯れのひまわり》(1998年)に接することが重要となるだろう。いつの時代でもいい、夏が終る。蔓延の笑みを浮かべていた向日葵は種を落としその役目を終えても姿を変えず、季節は代わっていく。そんな寂しい光景をそのまま蜜蝋で封じ込めたのが、この7点組の作品である。現実と大きく異なるのは、ボックスに納められていること、根までが晒されていることの二点である。これは「死」を強く象徴させたと捉えることが可能だが、封印されているためこの枯れた向日葵は再び息を吹き返し、時間を取り戻すことができるのである。即ち、死ぬのは私達なのだ。
《関係―無関係・立ち枯れのひまわり》を通り越して右に進むと、164枚の《関係―種子・四季の時間》(1998年)が縦四列、横複数で壁面を支配している。タンポポ(春)、スイカ(夏)、コスモス(秋)、林檎(冬)の種子と茎を封じ込めた作品の表面が鉛で覆われているためではあるのだが、特に黒く見える。「死」を通り越した、完全な「沈黙」だ。向かいの壁面に展開している《関係―種子の中の種子の杖》(2007年)に内在化されている実際の種が持つ生命力が、そう感じさせるのかもしれない。
この作品についても、竹葉の解説に助けを求めよう。
「名古屋市美術館1階企画展示室には、全長14m52cm、高さ2m80cmの展示ガラスケースが設置されている。本来、そこには、素描や水彩、あるいは細かな彫刻等、所謂fragileな美術作品の展示のためにある。今回、そこには、ヒマワリの種子が堆積されることになった。つまり、種子は、「壊れやすいもの」として、ガラスケースの中で“保管”されることになる。ケースはおよそ、三分の二の高さまで流し込まれ、堆積した種子の層は、圧倒的な量感を見せながら、その表皮の縞模様により、偶然的な断層を見せる。
種子の堆積の中には、その表面に種子をまぶし、蜜蝋で固めた7本の杖のオブジェが立てられた。あるものはケースの底に、あるものは種子の宙空に浮かぶかのように埋もれ、また別の杖はその把手を地上に出し、正しく種子の海をかき混ぜるかのように設置された。7本の杖のオブジェは、ガラスケース内部に接しているため、同質の大量の種子の中でも、かろうじてそのシルエットを確認することができる。」
向日葵で覆われ蜜蝋で固められた杖のうち、3本はその持ち手部分が上部に顕わになっているが、残りの4本は向日葵の種子の中に埋没している。しかし杖を差し込んだ時の痕跡が種の流れとして残されている。向日葵の種とは合理的なフォルムを持つ。どのような異物が挿入されても、それを避ける様に隙間なく連動している。それは種子が本来持つ力を見せ付けていることにもなる。種子はどのような条件にでも順応し、土の中に潜り込み、新たな芽を息吹くような形となっている。杖を「老いと死」に直結してみることが自然であろう。しかしこの展示場では、立ち枯れた花が封印され、四季の種が封印され、封印されていない種子が宙を舞う。するとこの《関係―種子の中の種子の杖》は「死」を表出しているのではなく、現実世界では見ることのできない「幻視」であると捉えることもできるのではないだろうか。芸術は、既に「幻視」であるとも言える。「幻視」の中の「幻視」。まるで夢の中で見る夢のようだ。すると「幻視」が現実となり、見るものにその存在の根底を問いかけてくる。この問いに耳を傾けてみれば、沈黙の表情を浮かべていた《関係―種子・四季の時間》が、生命感溢れる活発な動きを放射していように感じてくるのである。そこに私達は「四季」を直列した時間感覚として捉えるのではなく、並列し、同時に訪れるイメージとしてを捉えなければならないだろう。
「関係―種子・四季の時間」(1998年)
■現在進行形というキーワード
《関係―種子の中の種子の杖》と《関係―種子・四季の時間》が対であるように、《関係―無関係・立ち枯れのひまわり》が相互補完される作品は、103×72,8cmの木製のパネルに向日葵の種がびっしりと敷き詰められ、蜜蝋で固められた6枚組の《関係―花園・ひまわり》(1996年)である。この作品に「タブロー」を見る眼差しを注ぎ込んでも答えは返って来ない。この作品は《関係―無関係・立ち枯れのひまわり》=「死」と、《関係―種子の中の種子の杖》=「幻視」、二つの中間に位置する場所に展示されている。それを意識して作品に向かうと、この《関係―花園・ひまわり》は「誕生」を控えていることが感覚として分かってくる。但し、それが過去の「誕生」なのか未来の「誕生」なのかは見えてこない。実際の向日葵の種が「幻視」で、蜜蝋により封印されているそれが「誕生」としての実物となり、6枚を通覧することにより種は動き出すのだ。
対になる作品はこれだけではない。第一展示室出口左には《関係―種のボリューム》(1998年)が、右には《関係・種子―箱の中のひまわり》(2000年)が、二つずつ床に置かれている。《関係―種のボリューム》は、種が一杯に入った麻袋が蜜蝋によって更に閉じ込められた作品に見えるが、カタログの出展リストによると素材は金網、ペイントとなっている。すると、中には本当は向日葵の種が入っているのであろうかという疑問を起させる点が興味深い。二つの形には差異も見つけられない。質感があるからこその「虚構」感が発生する。《関係・種子―箱の中のひまわり》は、同形の箱ではあるのだが、一方は種が底に埋め尽くし封印され、他方は僅かな数の種が均一ではないとしてもほぼ同様の間隔を開けて単体として封印されている。集合体と単体、これらは河口の手によって「数」=「多い/少ない」という概念から解放され、「実体」として現前する。この《関係・種子―箱の中のひまわり》に《関係―種のボリューム》が、実寸では無理のようだが、すっぽりと入ってしまうのではないかと幻想する。すると箱の中の種は金網の表面になり、金網の内部にある種は箱に零れ落ちる。外部と内部の融合。埴谷雄高のいう「虚体」を思い起こす。
《関係―無関係・落下、集積、命の形態》を中心に、二つの対になる作品が場を形成しているのでは決してない。ここはそれぞれの作品の対角線上に線を引けるほど、単純な空間ではない。中央に置かれた《関係―生命・鉛の温室》(1999年)の内部には、鉛で覆われた50個の向日葵の種が、それぞれ一つずつ蜜蝋で出来た枠に眠り、整然と並べられている。それぞれが同一であるにも拘らず、よく見ると全く異なる様相を呈している。温室の外で繰り広げられる飛翔に対してモルグのような印象を与えながらも、秩序こそが混沌の根源であることを教えてくれる。それは同じく中央に展示されている《関係―鉛の花時計》(1992年)にも言えることだ。一つの植木鉢に一種類の種を複数散りばめ、鉛で封印した、様々な植物の種を132種類分の作品群、《関係―種子・花のために》を円形に配列し、その上を巨大な時計の針が通過する。この時計が現在何時を指しているかに我々は興味を置かない。つまり我々が時間軸を「秩序」にしてしまっているだけあって、それは封印された132の有機体の上では無効になってしまう。それでも時は刻々と過ぎ去っていく。上部から零れ落ちてくる種、響き続けるピアノの音、発芽の瞬間を待ちながら沈黙する鉛の壁、密閉されたガラスケースの中で呼吸を繰り返す杖、これら時間感覚を麻痺させる空間に身を置いても、我々は死を逃れることはできない。その現実を《関係―種子・花のために》は見事に突きつけてくるのだ。
そしてガラスケースの傍らに、《関係―椅子の上の種子》(1999年)が静謐に佇んでいる。積み上げた向日葵の種を、学習椅子ごと蜜蝋で封鎖する。この作品を「幼年期」と解釈することがあるだろう。河口の年齢から考えると過ぎ去った時代、即ち「懐古/記憶/思い出」と読み解くこともできるであろう。しかし作品を見る者は、様々な立場に身を置いている。小学校に上がる前の者がこの作品に触れたらどうなるだろうか。このように様々な固定観念を拭い去って作品と対峙すると、円錐状に積み上げた向日葵の種は、その学習椅子ごと上へ上へと上昇していく印象を持つ。座り込む、即ち大人が子供に対する視線を必要としないからだ。
椅子は浮上し、種子は落下し、音が持続し、生命力は停滞し、時計の針が回る。これらは全て現在進行形だ。「幼年期」「老年期」「死」「沈黙」「虚体」「幻視」「誕生」というキーワードから見つかる「輪廻」という思想もまた、現在進行形なのである。河口の作品は生きている。それを見る私達もまた、生きているのだ。
「関係―鉛の花時計」(1992年)
「関係―椅子の上の種子」(1999年)
■化石を擦るという術=手を動かすという原初的な手段
二階の展示室に向かう階段の踊り場に、《DARK BOX》(2006年)が置かれている。ここで、人間は全て死に向かう現実を突きつけられる。我々は消滅することによって、「闇」になれるのだろうか。なれない。「無」になるだけか。「無」にもなれない。すると「闇」と「死」と「無」は全く異なるものであることに気がつく。
展示室2ではまず、《関係―電流・種子の時、化石の時》(2007年)が前面に展示されている部屋へ係員に案内される。五つの「島」に分かれた銅版が床に敷き詰められているためか、部屋全体が赤茶色になり、まるで柔らかい炎の中にいるような錯覚に陥る。この作品は《関係―種子・銅》(1982年)と《関係―気》(1983年)を基に、新たに幾つかの素材を追加したようだ。手前右には植物、銅パイプ、植木鉢、土があるので、《関係―気》のようだ。ここに電源があり、微弱な電気が「関係」の始まりを告げる。《関係―種子・銅》と、鉛に包まれた向日葵の種が乗せられ、奥の「島」と橋を渡す豆電球が光る。奥の「島」には、第三紀の亀の化石が4点《関係―種子・銅》と同じ台座に置かれ、銅パイプも置かれ、木の枝が左の「島」と繋がっている。奥左の「島」には硝酸液が零れる。この色は電流に反応し、微妙に変化していくそうだ。杖を模った鉄が中央左の「島」に橋をつくる。この「島」には何も置かれていない。導線を巻かれたペンチが電流により磁石となり、砂鉄に模様を与える。このボックスを通じて、手前左の「島」にたどり着く。ここには巻かれた銅線、銅板が置かれている。これら「島々」に分かれた空間は非常に煩雑な感を与えるが、実は荒涼としている。しかしここには電流以外の何かがいるのではないかと感じさせる、重苦しい気配が漂っている。封印されていない古代の化石は、「死」という時間概念すらも乗り越えてしまっている。これから息吹く種は、決して窒息しているのではない。電流=地脈、化石=記憶、封印された種=未来、即ち死までの生き様を背負う装置と考えれば、まるで脊髄の中に身を置くような感触だ。
次の部屋は暗幕で閉められている。中に入ると、《関係―光になった言葉》(2007年)が展示されている。その名の通り、36種類の様々な日常的な言葉が刳り貫かれたパネルが吊り下げられ、ライティングにより床や柱に投影されているのだ。このアクリルパネルも鉛の板で封印されている。河口が「言葉」を用いるのは意外に感じるが、その活動の初期である1970年には《意味の桎梏》(大阪・信濃橋画廊)を、1971年には《鉛の言葉》を、2002年には《詩と鉛と光》(うらわ美術館)を制作している。これまで図像としてみてきた作品が突如概念となると戸惑いを感じるが、この作品と長く付き合ってみると、言葉という概念から図像が浮び上がってくる。すると今までみた図像もまた、見えていただけではなく概念であったことに気がつく。記号学や記号論の複雑な議論は、ここには必要ない。作品に触れ、何かを想起するだけで充分なのだ。
暗幕を抜けると、《関係―花の遺伝》(2003年)という同サイズの平面作品が、10枚展示されている。サルビア、コスモス、勿忘草、百合、花菱草、金盞花、おじぎ草、ネモフィラ、美女撫子、ダリアの種が鉛によって封印されて画面上に6-13個ほど配置され、種を中心にそれぞれの花の色の円が増殖していく。色は複数使用しているが、寒系と暖系が交じり合うことは、決してない。図像と概念の問題をクリアしたため、二館初めての平面着色絵画の展示に驚きはない。一見刺激が少ないこの作品もまた、時間をかけて付き合うと立体にひけをとらない強い作品であることに気がつく。それは鉛で覆われた種の存在の強さだけでなく、色使い、形、配置といった、美術作品として「当たり前」の技術の確かさとともに、「何を想起すべきか」という問いを強く発してくるためだ。これまで封印された多くの種類の種を見てきたが、そこで私は何を思ったのだろう。花の色か、形か、配置か。この花は本当に画面上で水彩によって描かれている色なのか、しかし同じ花であっても同じ色をしているといえるのだろうか。そのプロトタイプを河口は描こうとしているのではないことは、一目瞭然だ。では花の「気」か、「存在」か。このような想起が幾つも浮かぶ。そしてこれまで見てきた数々の立体の色使い、形、配置の絶妙さに今更ながら気づかされるのだ。
そして、《関係―無関係・石になった生命》(2006年)が壁面を飾り、その前に《関係―再生・ひまわりの種子とアンモナイト》(1999年)が置かれる。《関係―無関係・石になった生命》は同一サイズ13点であり、一枚につき二種類の化石に和紙をあてて擦り出し、アルシュ紙の上に並べて四隅を蜜蝋で固めている。「フロッタージュ」とはシュルレアリスムの用法で、1925年8月10日に、マックス・エルンストが発見した方法。「フロッタージュの方法、然るべき技術手段によって、精神の諸能力を強めることのうえになりたち、意識的な心的な行為一切を排除し、そのときまで〈作家〉と名づけられていた人間の行動的部分を、極限まで減ずるものである。この方法は、自動記述の真の等価物として現れたものである」(E.L.T.メッセンス『シュルレアリスム簡約辞典』)という定義が設けられているから、河口とは区別されるべきであろう。この淡い色彩で摩り起された化石は、普通に色鉛筆で描かれたような印象もある。和紙、蜜蝋、アルシュ紙という組み合わせの色遣いも美しい。《関係―再生・ひまわりの種子とアンモナイト》は、蜜蝋で封印された鉄の籠の中に、封印されていない向日葵の種が密集し、そこにアンモナイトの化石が頭を出して埋もれている作品だ。籠の足にはローラーが設置され、可動できるようになっている。この作品は種も化石も封印されず籠が封印されているので、他の作品と異なる印象を醸し出す。生々しいようでいても、色彩的要素と存在感が「作品」としての水準を保っている。移動可能という点が象徴的だ。展示室2の作品群は、種、化石、言葉が等価であり、これらは人類の原初的要素でもあり、この要素が現代に深く根ざしていることを河口の作品は教えてくれる。だから作品の可動に意味が生まれる。化石を擦るという術は、手を動かすという原初的な手段であるということも見逃せない。アンモナイトは言葉を持たなかったのであろうか。持っていたのかもしれない。人間だけが言葉を操るという発想は、傲慢の極みかも知れない。
「関係―電流・種子の時、化石の時」(2007年)
「関係―再生・ひまわりの種子とアンモナイト」(1999年)
■決して完結していない、閉じられていない展覧会
企画の展示はここで終るが、地階にある常設展示室3では1978年から1999年の間に制作された《関係―質》が17点、名古屋市美術館常設展名品コレクション展?でも3点の《関係―質》が展示された。《関係―質》について、カタログにある保崎裕徳による解説を引用する。
「《関係―質》は、液体が金属に腐食し発生させた錆を見せる一連の作品である。本展には、鉄と雨水による赤錆が綿布を染色した作品と、銅とアルカリ性の水溶液による緑青が綿布を染色した作品の二種が出品されている。
赤錆の作品の場合、木の板を貼り合わせて補強した鉄板が、キャンバス地の布に包み込まれている。河口はこれ無垢な状態で水平に置き、溜めておいた雨水を筆や刷毛を使って綿布の表面に塗布する作業を、数週間から数ヶ月繰り返して、この作品を制作したという。綿布に赤錆が斑点状に現れたものと、表面全体を覆うように拡がったものがあるが、雨水は均一に塗布しているため、本展の出品作品に関しては、この違いは作為によるものではない。布が雨水に浸っている時間や布と鉄の表面の接し具合などによって、図柄の差異が生れている。緑青の作品の場合には、銅版が綿布に包み込まれている。これらの作品では、布の表面に薬液を塗布した後に、上からものや掌を押し付け、錆の発生をある程度コントロールして意図的なパターンを生じさせたものが多い。」
2種類の作品は制作方法が対照的だ。赤錆は作為がなく、緑青は意図的である。17点の作品の図柄はもちろん異なるが、サイズも布の質も様々なので、制作の試行錯誤の跡も窺うことができる。緑青が作為的に見えて、赤錆に意図がないように見えるのが不思議だ。それどころか、作為の有無の指摘がなければそのことを考慮に入れることができないほど、作品が純粋に美しい。赤錆と緑青が交互に展示されていたので、その色彩は際立った。それはコレクション展の二枚の緑青の作品にも言えることだ。河口が所蔵する、参考出品の《関係―質》(1976年)の小品は、パネル貼りされてないこともあるだろうが、非常に有機的な、人間の皮膚のような感触がした。この《関係―質》のシリーズは、企画展内に置かれていたらまた違う様相を呈したのであろう。常設展という独立した、しかも地下の空間で見られたことも、一つの解釈として成り立っている。
このように河口の作品に時間感覚は存在しないとしても、ソシュールの用語で言えば、兵庫では通時的、名古屋では共時的な展覧会となり、それぞれ独自の空間を形成することに成功した。河口は「二つの美術館で展示することを作品とする」と、トークで話していた。それぞれの美術館の特性を生かし、これが同じ作家の手によるものかと思わせるほどの、多種多様な作品を展開した。反面、これだけ異なる手法を採りながらも一目で河口作品であることが理解できる。それは素材の問題では、決してない。蜜蝋を使えば河口、蓮を使えば河口、種を使えば河口、化石を使えば河口、と言う訳では決してないのだ。河口の作品で重要なのは素材ではなく追求であることは文中に記したので繰り返さない。私は兵庫と名古屋のつながりを「舟」に見出したが、それ以外の見解も存在するだろう。私がここで付け加えたいことは、二つの展覧会が決して完結していない、閉じられていないことだ。そして河口の今後の作品は全く予想がつかないことも、再度記しておく。
河口の作品は、国内にも海外にも類をみない。作品の本質は、人類がこれまで得た「知」を全て内在化しているとまで言っても過言ではない。このような河口の作品を語ることは、例えばフーコーのエピステーメを用いて幾らでも難解な論文に仕上げることもできるし、逆に、物語性を想像する、見たまま感じたままといった容易な言葉で説明することも可能である。今回、私は参考文献を多く使わず簡潔な展覧会評としてまとめたが、いずれ詳細な河口龍夫論を書きたいと思っている。
参考文献
「河口龍夫展―見えないものと見えるもの」(兵庫県立美術館+名古屋市美術館/2007年)
「呼吸する視線―河口龍夫 みえないものとの対話―」(いわき市立美術館/1998年)
「河口龍夫―封印された時間―」(水戸芸術館/1998年)
「大分現代美術展2002」(大分市美術館/2002年)
中原祐介『関係と無関係―河口龍夫論―』(現代企画室/2003年)
『河口龍夫作品集』(現代企画室/1992年)
*作品撮影はすべて齋籐さだむ
*参考HP http://www.tatsuokawaguchi.com/index.htm(河口龍夫オフィシャルHP)
*二つの河口龍夫展(上)は、http://tenpyo.netに掲載済みです。