てんぴょう : 展評

細切れになっていく日本美術に批評は・・・

ついに御三家が全員逝った。
今更御三家でもなかろう、という声も多いだろうが、彼ら以降そのような存在になった美術批評家はいないのだから、彼らの存在の大きさはかなりのものである。

ではなぜ御三家以降、そのような存在が生まれなかったのか。
それは日本美術の状況が細切れになっていったからだと思う。
例えば絵画は、日本画・洋画だったのが洋画内で抽象画・具象画に分かれ、さらに平面というものも入り込んできた。
「絵画で具象だけど、あの具象とはまた違う新しい具象だ」のように、とにかく何かとジャンルのようなものが生まれすぎて、日本の美術は細切れの散り散りになってしまった。そしてその一片一片に批評家等書き手がくっついてる状態だ。

本来は散り散りの状況から半歩でも引いて、どうにかして全体像をつかむのが批評だと思う。
まずは全体をつかみ、そして個々へ入っていく、ということだ。

まさに活躍中であった鷹見氏も逝ってしまい、日本美術の批評の停滞は免れないのが残念。勝手に散り散りになっていく断片をつなぎ合わせる歴史意識を生み出すのは、批評の役割であるだけに。

2011.04.07

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