EXHIBITION | TOKYO
竹村京(Kei Takemura)
「となりのにわ」
<会期> 2026年9月5日(土)- 9月26日(土)
<会場> Taka Ishii Gallery (complex665)
<営業時間> 12:00-19:00 日月祝休
タカ・イシイギャラリーは、9月5日(土)から26日(土)まで、竹村京の個展「となりのにわ」を開催いたします。竹村京は、ものや場所に積層する時間や記憶、そこに刻まれた存在の痕跡に耳を澄ませてきました。あたかも世界の裏側へと分け入るように、目には見えない関係性を掬い上げ、過去と現在、存在と不在が交差する地点を浮かび上がらせるその作品には、執拗に消えては新たに生まれ来るものたちや、瞬間の粒子が束の間の姿として立ち現われます。
今朝となりのにわを除いたら、こちらとの塀に面して立っている葡萄棚の下は雑草が鬱蒼としているが、その向こうの芝はきれいに刈り取られていて、となりのおじいさんが元気なことがわかる。こちらに移り住んだ当初は季節が冬で、うちに面したとなりのにわの工事現場の足場のような太い鉄棒で作られたしっかりした構造物に絡みつくように生えた太い幹とうねうねとした裸の枝を見て祖母の家にもあった藤棚だと思い込んでいたが、暖かくなってきたら葡萄の実がついて藤棚では無かったことを知る。よく考えたらついている葉っぱも葡萄だった。
ここ最近は異常に暑かったりたらいをひっくり返したような雨が降ったり、そんな雨が高崎に降るという予報が携帯電話を鳴らしたり、裏に面しているとなりのにわを眺める時間も無かったので雑草がいつも生えていないおじいさんの庭にあの高さの雑草が生えているのを見ると勝手に彼のことを忘れていた自分にドキッとし、ほぼ同時に母を想う。
おじいさんは体が悪いのにお庭の手入れを忘れない。どの季節も見栄えの良い花が咲くように仕立てている。そうすると出るのが始末されたたくさんの枝や葉っぱなのだが、それを集めて空の灯油缶に入れて火をつけている。ある日見ているとそこに赤城山から降りてきた風が吹いてあっという間に人の背くらいの高さに跳ね上がった。もう少しで家のひさしまで届くという勢いにおじいさんが気づいているかと彼の姿を探したが、庭に居なかった。それで夫が消防車を呼んだが、彼らが来る頃には火は収まっていた。窓越しに消防員がおじいさんに何か話しかけているのが見えた。
親しくしている北欧家具のご夫婦に久しぶりに会ったら、となりからの貰い火で倉庫が焼けてしまって大事な家具が燃えてしまったという。その中には私が前に座らせてもらったことのある、ベッドにもなるベンチがあった。カイ・ボイスンの木で出来たゾウは焼け残ったがサルは細いので燃えて崩れてしまって跡形もなかったらしい。燃えたゾウを貰い受けたが、黒い粉の集積のようで、持ち上げると思ったよりちょっと軽い。前に本物の頭蓋骨を持ち上げた時のことを思い出す。あれは思ったよりちょっと重かったのだ。私は燃えてしまったものが軽くなったのを修復してちょっと重く戻そうと思う。
光る珊瑚のDNAと蚕の遺伝子組み換えでできた蛍光シルクはそのまま見ると少しピンクだけれど、暗くして緑のLEDを当てて赤のアクリル板越しに見ると光って見える。夜中に水戸芸に出す能登の黒瓦をその糸を使って修復していてちゃんと糸が光っているかどうか覗いてみると、光る糸は目に飛び込んでくるが周りに置いてある赤いものがいなくなっていることに気づく。そういえば学生の頃、覚えたい箇所を赤ペンで書いて赤い下敷きで消していた。よく目を凝らせばそこに文字はあったけれど。
竹村 京
本展では、金糸に加えて赤と緑の糸が用いられています。互いを強く引き立てあう補色でありながら、光やフィルターを介することで一方が鮮やかに現れ、もう一方が見えなくなる赤と緑。その移ろいは私たちが目にする存在のかりそめの姿を思わせます。一方、金は、仏教における浄土の光、中世ヨーロッパにおける時間や場所を超えた神聖な領域、そして変容の果てに到達する完成された物質の姿を想起させます。炎の中で生み出されたものたちが変容した先にある時間と光。金糸はそれらをもう一度、色とりどりのこの世界へと迎い入れるための扉となります。かりそめに現れては消える色と、時空を超えてあり続ける光。変化し続ける世界の中に宿る普遍を見つめる、作家の新たな応答です。水戸芸術館での大規模個展「うごくせかい」と同時期に開催される本展をぜひご高覧ください。
Taka Ishii Gallery (complex665)(タカ・イシイギャラリー)
https://www.takaishiigallery.com/jp/
東京都港区六本木6-5-24 complex665 3F
tel:03-6434-7010
