EXHIBITION | TOKYO
中西夏之(Natsuyuki Nakanishi)
「眩しいことの研究」
<会期> 2026年5月29日(金)- 7月11日(土)
<会場> SCAI THE BATHHOUSE
<営業時間> 12:00-18:00 日月祝休
SCAI THE BATHHOUSEは、美術評論家・南雄介氏をキュレーターに迎え、中西夏之の個展「眩しいことの研究」を開催いたします。作家の没後10年の節目に、大阪の国立国際美術館での回顧展(山梨県立美術館、セゾン現代美術館、茨城県近代美術館へ巡回予定)と同時開催となる本展では、ご遺族の協力のもと、初公開の習作を含む1960年代から晩年までの絵画群を発表いたします。半世紀以上にわたるその制作を通して、絵の成り立ちについて問い直してきた中西は、「絵画とは眩しいことの研究である」という言葉を残しています。本展は、その独自の思考と実践を振り返り、「絵画」という営みを再考する場となるでしょう。
本展に寄せて、南雄介氏に寄稿文を執筆いただきました。
私の手元に、ルネ・マグリットからミシェル・フーコーに宛てた2通の書簡について論じた仏文学者・豊崎光一のテキスト「二通の手紙 ルネ・マグリットからミシェル・フーコーへ」(『漂流物épaves』 3号、1979年、所収)のコピーがある。2006年に中西夏之から送られてきたものだが、それは、以前私が、類似や相似の背後には、数学的な類比関係があるというようなことを何かの折に話したことがあり、それに関連して送ってくれたのである。(線遠近法とアナロジー(類推)の基底には、共通してA:B=C:Dという比例関係があるというのが、以前からの私の関心事であったので、そのことを話題にしたのではなかったか。だがこれは、中西にとってはまったく的外れな議論であったに違いない…。)
豊崎光一のテキストは、フーコーによる有名なマグリット論『これはパイプではない』(原著1973年刊、邦訳 豊崎光一・清水正訳、哲学書房、1986年)の巻末に付された、マグリットからフーコーに宛てた1966年の日付をもつ2通の書簡を紹介し、論じたものである。フーコーから『言葉と物』を贈呈されたマグリットは、書簡の中で、フーコーの論においては、また辞書の語義においても、特に区別はされていないようだが、自分は類似(ルサンブランス)と相似(シミリチュード)に違いがあると考えている、「物」と「物」とは類似することはなく、相似する(か否か)のどちらかである、類似したものがあるのは思考だけの特徴である、と述べている。
豊崎は、フーコーがこのマグリットの区別立てを容れて、マグリットの「或る種の作品についての新たな視点を獲得している」と述べ、以下のようにフーコーの論を引用する。
マグリットは類似(ルサンブランス)から相似(シミリチュード)を切り離し、後者を前者に対抗させて用いているように思われる。類似というものには或る《母型(パトロン)》がある。つまりもとになる要素であって、そこからとり得る、だんだんに薄められてゆくコピーのすべてを、自己から発して秩序づけているものだ。類似は処方し分類する原初のレファランスを前提するのである。相似的なるものは、始まりも終りもなくてどちら向きにも踏破し得るような系列(セリー)、いかなる序列にもしたがわず、僅かな差異から僅かな差異へと拡がってゆく系列をなして展開される。類似はそれに君臨している再現(ルプレザンタシオン)に役立ち、相似はそれを貫いてはしる反復に役立つ。類似はそれが連れ戻し再認させる務めを負っているところの原型(モデル)にしたがって秩序づけられ、相似は相似たものから相似たものへの無際限かつ可逆的な関係として模像(シミュラクル)を循環させる。
豊崎のテキストを読んで中西が意を強くした(中西なら「励まされた」と言ったかもしれない)のは、想像に難くない。マグリットの絵画に対する考察を離れても、そこでは、「表象」の圏域を逃れた、「相似たものから相似たものへの無際限かつ可逆的な関係として模像(シミュラクル)を循環させる」企てとしての絵画の可能性が示されている。
早世した豊崎への追悼文のなかで、中西は、豊崎の「二通の手紙」に言及した後、次のように記す。
しかし単に「よく似たもの」(類似)というだけでなく、「よく似たものに似たもの」(相似)と更に反復され、二つの似たものは、ついには「同じもの」(同一性)に接近してゆく。そしてその逆、同一なるものが二つの似たものに分断、分離されることが類推されるのである。
私は絵を描いているのではない、ことにここで気づく。私は「絵」と「絵に似たもの」の間にいるのだ。間にて私は、「絵に似たもの」を「絵」に移す(写す)のか、「絵」を「絵に似たもの」に移し(写し)ているのである。そのどちらか一方を「世界」という言葉に置き換えてもいい。すると私は「世界」と「絵」の間にいる。私と「世界」の間にキャンバスがあり、それに絵を描いたりはしていない(中西夏之「縁は異なもの 豊崎光一」1989年)。
「世界」と「絵」とは、限りなく相似した「似たもの」であり、「私」はその間にいる。「絵」が「世界」と「私」の間にあるのではない。これは、投影(プラトンの「洞窟の比喩」、遠近法、等々)の完全な否定である。中西にとって、「絵」は、情景や現象の、あるいは思念や感覚の、「表象」であってはならないのである。中西の絵画、いや「絵」は、そもそもの当初から、その意志に貫かれていたのではなかったのだろうか。《韻》の表皮のようなテクスチュア。ハイレッド・センターの「直接行動」。《山頂の石蹴り》のスキージ。中西は、世界に対するにせよ絵に対するにせよ、ある種の直接性をけして手放したことはなかったことが、あらためて確認されよう。そして、1980年代以降の絵は、その多くが、儀式的とさえ見える厳密な手順に従い、長い棒の先に取り付けた絵筆による筆触を、絵具が乾かないままにキャンバスの上に重ねることで制作されてきたのであり、原初的な身振りの痕跡の集積にほかならない。さらに言えば、中西が「絵画とは眩しいことの研究である」とさえ述べた、あの「眩しさ」とは、この直接性の究極のあり方のことではなかったのだろうか。
──こう記してくると、当然あのプラトンの洞窟の比喩を想いうかべる──。だがその時、どうしてもその中で一つだけ正体がわからず残してきたものがある。それは、もともとその中には無かったのかも知れない。ある気配のようなものなのだが、体の外、世界の外に出てみるとそれが世界そのもの、体そのものであると思いえる。正確にはそれは世界–体に相似のもの、とぼんやり思えるのである。それは絵、及び絵ということ、なのだが、そう言えるために成さねばならぬことがある。
私の体の単純化形態が、すなわちプラトンの洞窟の単純化形態が円筒であるならば、それを縦割りに切り開くこと、そうしてプラトンが外の光とした太陽を内部と合流させてしまうこと、切開の極限が外の光を感応・感受する真っ平な平面であること、すなわち私達にとっては知ることの極限。眩しい! 眩しくて目もあけてはいられないと云う状態にまでに……(中西夏之「赤瀬川原平の体の中を降りてゆく」1994年)。
南 雄介(美術評論家)
SCAI THE BATHHOUSE(スカイザバスハウス)
https://www.scaithebathhouse.com/ja/
東京都台東区谷中 6-1-23 柏湯跡
tel:03-3821-1144
