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流政之 Masayuki NAGARE

【取り扱いギャラリー】

日動画廊

1923 2月14日、長崎に生まれる。のち東京に移る。
1936 京都に移る。剣法、古流武道を学ぶ。
1941 立命館大学に入学するも、日本刀鍛錬所に出入り。
1943 海軍飛行科予備学生、操縦専修となる。
1944 父・中川小十郎逝去。
1955 初個展(美松画廊/東京)
土による流政之火面展(村松画廊/東京)
第2回モダンアートフェア(朝日新聞主催)に植木茂らとともに参加
1956 「ナガレ地蔵」を制作する。
46人展(松坂屋)に「争いなき抵抗」を出品。
1957 内間安☆(☆は王偏に星)・流政之展(養清堂画廊/東京)
「コケシ地蔵」を制作する。
1958 鳥取の風土による流政之展(養清堂画廊/東京) ワレハダ技法の作品を出品
建築家イーロ・サーリネン夫妻が作品を購入
1959 ロックフェラー3rd夫人が5点の作品を購入
初めて四国に渡る
1960 四国庵治村で村民達と制作を始める
ロックフェラー夫人購入の作品「受」がニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選ばれる
1961 カーネギーインスティテュートに出品
1962 大分県庁コンクリート型枠の壁画「恋矢車」で、日本建築学会賞を受賞
1963 日本から2,500個、600トンの石を運びニューヨーク世界博覧会日本館に壁画「ストーンクレイジー」を制作。
世界博のベストワークとして紹介される
プリーズタッチ 流政之展(スタンフリー画廊/ニューヨーク) アメリカでの初個展
1965 プリーズタッチ 流政之展(スタンフリー画廊/ニューヨーク)
個展初日がニューヨーク大停電となるが、テーマゆえ会場から立ち去るものは誰もいなかったとニューヨークタイムズに報じられる、作品は初日を前に完売。
セントルイス美術館のために「結ばれた二つの行方」を制作。
1966 バンク・オブ・アメリカ本社ビル(サンフランシスコ)のプラザに200トンの「太平洋の赤ん坊」を3年がかりで制作
1967 香川の若い職人たちに夢をあたえたとして、最年少44歳で香川県文化功労者に選ばれる。
流政之展(サンフランシスコ美術館、シカゴアートクラブ、スタンフリー画廊)
タイム誌で日本を代表する文化人として三島由紀夫、川端康成、丹下健三、黒澤明とともに紹介される
1969 20世紀の芸術ネルソン・ロックフェラーコレクション展(ニューヨーク近代美術館)に出品
ビル、リッキー、流政之展(東京画廊)
1971 東京IBMビルに「のぼり太鼓」を制作。「バチ」シリーズのはじまり
1972 プリンストン大学美術館に「石のなぞ」が購入される
IBM東京本社に「タンマ」を制作
1973 流政之展(スタンフリー画廊/ニューヨーク)
リンカーンセンターオペラハウスが「音無」を購入
1974 日本芸術大賞受賞
第2回長野野外彫刻賞受賞
久野真・流政之二人展(桜画廊/名古屋)
1975 ニューヨーク ワールド・トレード・センターに250トンの彫刻「雲の砦」を7年かけて完成。
大石寺に「ながれの庭」を制作
アントワープ国際野外彫刻展に出品
「夜の手ざわり」がミッデルハイム美術館所蔵となる
1977 流政之展(西武美術館/東京)
1978 第9回中原悌二郎賞
流政之展(梅田近代美術館/大阪)
国立国際美術館に「風の城」を制作
日本アカデミー賞協会設立メンバーとなりトロフィーをデザインする
1979 日本アカデミー賞のため御神体「映画神像」を制作
箱根彫刻の森美術館に「風の刻印」を制作
1980 朝日新聞本社に「風雪100年」を制作
ドイツ、ケルン東亜美術館の池に「風の旗」を制作
1981 彫刻公園北追岬に「北追岬」が4年がかりでできあがる。
ギャラリーところ(東京)、ギャルリーユマニテ(名古屋)、江戸堀画廊(大阪)、スズカワ画廊(広島)にて巡回展
1983 「北追岬」などの作品により吉田五十八賞を受賞。
1985 人は神となるか1958-1985 流政之展(江戸堀画廊/大阪)
1986 流政之展(高松三越)
1987 日本経済新聞「私の履歴書」連載
1988 神々の放浪 流政之展(日動画廊/東京)
瀬戸大橋開通に、橋の守り神「どだま獅子」を制作
高松市立美術館のロビーに「ながれバチ」を制作
1989 鳥取県赤碕町菊港に「波しぐれ三度笠」を制作、1995年に鳥取県景観大賞となる
瀬戸大橋のたもとに、あらたな香川の伝統をみせる作庭に「浜栗林」を制作
1990 流政之展(江戸堀画廊/大阪)
1993 門真市民会館に「ボチボチユコカ」を制作
「ながれもん三度笠」をモービル石油本社(ヴァージニア州)が収蔵
「サキモリ」をホノルルアカデミーオブアーツが収蔵
1994 第22回長野野外彫刻賞受賞
流政之展(江戸堀画廊・大阪)
流政之展(日動画廊/東京)
香港アートフェアに出品
1995 朝日新聞「流政之の世界」連載
長野市野外彫刻展の100点目を記念し「タマゲタ100番」を制作
1996 21世紀への予感 日本の現代美術50人展(ナビオ美術館/大阪)に出品
ファミリー美術館 '96素材とかたち触覚との対話(茨城県近代美術館)に出品
1997 流政之展(ジェイソン・マッコイギャラリー/ニューヨーク)
相生森林美術館(徳島)、TIAFに出品
1998 大林組東京本社品川インターシティに「いのいち」を制作
1999 淡路島北淡町に阪神淡路大震災後の勇気づけと慰霊に「べっちゃないロック」を制作
流政之展(ソールズベリー・ニューアートセンタースカルプチャーパーク&ギャラリー/イギリス)
流政之 肌追展(日動画廊/東京)
NICAF出品
2001 JR高松駅に「だいてんまい」を制作
9.11アメリカ同時多発テロで、ニューヨークワールドトレードセンターにある作品「雲の砦」が巻き込まれる
2002 流政之展(ジェイソン・マッコイギャラリー/ニューヨーク)
駒ケ岳を望む大地に「彫刻公園ストーンクレージーの森」をつくる
流政之展(ギャラリーオー工房、画廊不知火/岐阜)
2003 JR函館駅に、歴史壁画「きのうの敵はあすの友 函館解放1868年」を制作
2004 9.11のテロに耐えたものの救助活動のため撤去された「雲の砦」が、北海道立近代美術館で「雲の砦Jr.」として甦る。
2005 北海道知事公館に「サキモリ」をたてる。
2006 海軍飛行予備士官の青春をとどめようと、彫刻公園ストーンクレージーの森に「もどり雲」を立てる。(企画 JR北海道 共同 茶道裏千家淡交会)
海に面したサンポート高松に、2006 JCI ASPEC TAKAMATSUの記念に、人たちの友情と絆をと、「MATAKITENO」をつくる。
鎌田郁雄をはじめ地元の有志がサヌキサキモリの会をつくりはじめる。
2007 富士山のふもとで、「富士が辻」計画が動き出す。
流政之展(ジェイソン・マッコイギャラリー/ニューヨーク)
30数年、バチをつくりつづけ、コールテン鋼で高さ8Mを超えるにいたった。
京都・亀岡の養仙寺に「くぐりほてい」をつくる。
流政之展(日動画廊/東京)
鉄道員の誇りをと、鉄道博物館(さいたま)に、彫刻「ポッポヤ」をたてる。(JR東日本)
浜松市の人びとのために、彫刻計画。