EXHIBITION
アーロン・ シスキン|Aaron Siskind
<会期> 2018年5月26日(土) – 6月30日(土) 11:00-19:00 日月祝休廊
<会場> タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムは、5 月 26 日(土)から 6 月 30 日(土)まで、アーロン・ シスキン個展を開催いたします。タカ・イシイギャラリーで初めての個展となる本展では、50 年代から 60 年代に かけて撮影された作品群と、70 年代に制作された「フランツ・クラインへのオマージュ」シリーズより、10 点を 展示いたします。
英語教師を務める傍ら、1930 年代初頭より写真制作を始めたアーロン・シスキンは、映像作家・写真家集団フィ ルム&フォト・リーグに 1932 年より参加し、ドキュメンタリー写真家として活動しました。1935 年に団体を一時 離れるも、写真への特化と、世界恐慌の余波が残る社会への政治的関与の姿勢を強めたフォト・リーグへの改変に 伴い、1936 年に同組織へ教員兼写真家として復帰し、有志の学生らと組織したフィーチャー・グループを率いて、 不況の影響に喘ぐニューヨーク市民を被写体とした記録群を残しました。精緻な調査や観察、議論を集団で行なう ことを基本とするフィーチャー・グループの取り組みは、政治的左派を中心に注目を浴び、とりわけアフリカ系ア メリカ人の居住地域における文化・社会・経済に関する包括的分析を行なった「ハーレム・ドキュメント」(1935-40 年)は、ドキュメンタリー写真の代表的な作品として、当世のフォト・ジャーナリズムにも影響を与えました。
かねてよりシスキンの作品に見られた形状や平面性への志向は、ペンシルベニア州の土着的建築群を収めた「タバ ナクル・シティ」(1941 年)をはじめとした建築を被写体とする作品に結実します。建造物を取り巻く環境・構造 や、そこに見られる形の具な探求には、被写体に対する先入観を取り除き事実だけを露出させ、被写体自らが語る ことを促すシスキンのドキュメンタリー写真の姿勢が依然として見出されるものの、社会・政治的課題を主題とし て扱うことから離れるシスキンの態度は、フォト・リーグとの決別を明らかにするものでした。
他方で、1940 年代より現代美術の潮流に触れ、ニューヨーク派の作家らと親交を深めたシスキンは、マーサズ・ ヴィニヤード島やグロスターへの滞在を契機に、静物やファウンド・オブジェクト、街角のグラフィティや剥がれ かかったポスター、ペンキ塗装の古い壁などの撮影へと向かい、クロースアップにより線や色調、質感を強調した 抽象的なイメージへと移行します。被写体同士の関係(あるいは孤立)とそこに係わる自身を認識し、私的な経験 を積み重ねた写真は、某かを図解したり描写したりすることなく、ただその写真の中でのみ完結しています。
度々「生きた」形式は、厳格な四角い空間、すなわち平面的で変形しない空間を背景にその役割をはたす。そして、 それらの形式は遠近法で作られた奥行きへ逃げることが出来ない。長方形の四つ角は絶対的な境界である。そこに は、被写体の「物」とそれを観ているあなたのドラマしかないのである。
アーロン・シスキン、「The Drama of Objects」、『Minicam Photopgraphy』、1945 年 6 月号(Vol. 8, No. 9)、p.93
あくまでも写真的な、客観性のある表象を保ちながらも、現実の中にある抽象的性質を捉えたシスキンの作品は、 抽象表現主義の作家やその作品を扱う画商からも好意的に受け止められました。「フランツ・クラインへのオマー ジュ」は、シスキンが 1961 年のメキシコ滞在中に街の壁を覆うランダムな筆致に、抽象表現主義の旗手の一人で ある友人のフランツ・クライン(1910-62 年)の作風を想起し、1972 年から 75 年まで、6 つの異なる場所で撮影 した作品から成るシリーズです。クラインの精神を実際の作品を撮影することなく表現している本作において、被 写体は元のコンテクストから切り離され、印画紙の領野で全く新しい関係を秩序的に構築しています。
この非常に個人的に見える世界の主題は何か?(……)私が気付き、感じているのは、私が作る写真、その写真と その他の私が作った写真との関係、より一般的に言えば、その他の私が経験した写真との関係である。
アーロン・シスキン、「近代写真とは何か?」、1950 年 10 月 20 日 The Museum of Modern Art(ニューヨーク)で開催されたシンポジウムで述べられた言葉より抜粋
アーロン・シスキンは 1903 年ニューヨーク生まれ(1991 年没)。公立学校に英語教員として勤め、1930 年に初め てカメラを手にする。1932 年よりフィルム&フォト・リーグに参加(1935 年に退会)。1936 年にシド・グロスマ ンの要請によりフォト・リーグに復帰、フィーチャー・グループを組織し「ハーレム・ドキュメント」などを制作。 10 年来制作していた「タバナクル・シティ」を 1941 年に発表後、団体の共産党との密な繋がりやイデオロギー面 での不寛容さを理由に、同年フォト・リーグを去る。フランツ・クライン、バーネット・ニューマンやウィレム・ デ・クーニングといった抽象表現主義の作家らと親交を深め、写真家として唯一、抽象表現主義作品を扱うギャラ リーで展覧会を重ねる。1948 年にシカゴを訪れ、ハリー・キャラハンに出会う。1949 年に英語教師の職を辞し、 1951 年にキャラハンの誘いで Institute of Design(旧 The New Bauhaus Chicago)で写真を教え、鉄骨造の高層 建築を作ったシカゴ派の代表的な建築家、ルイス・サリヴァンとダンクマール・アドラーの建造物を記録した「ル イス・サリヴァン・プロジェクト」(1952-53 年)などを制作。その後再びキャラハンの誘いで 1971 年より Rhode Island School of Design で教鞭を取る。また、非営利団体である写真教育協会の創立メンバーとなる他、文学・ 写真雑誌『Choice』の共同編集者を務めるなど、写真教育の分野でも多大な貢献を果たした。主な個展に、「Aaron Siskind: Photographs」Alfred University(アルフレッド、1958 年)、「The Photographs of Aaron Siskind」George Eastman House(ロチェスター、1965 年)、「Siskind from the Collection」The Museum of Modern Art(ニュー ヨーク、1989 年)など。主なパブリック・コレクションに、The Art Institute of Chicago(シカゴ)、Getty Center (ロサンゼルス)、Metropolitan Museum of Art(ニューヨーク)、The Museum of Modern Art(ニューヨーク)な ど。
Taka Ishii Gallery Photography / Film (タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム)
http://www.takaishiigallery.com/jp/
東京都港区六本木5-17-1 2F
tel:03-5575-5004