EXHIBITION | KYOTO
花代(Hanayo)
「Hanayo Ⅴ-よのなかばかなのよ Are we not drawn onward, we few, drawn onward to new era?」
<会期> 2026年9月6日(日)- 9月27日(日)
<会場> Taka Ishii Gallery Kyoto
<営業時間> 10:00-17:30 日月火水祝休
タカ・イシイギャラリー 京都は、9月6日(日)から9月27日(日)まで花代の個展を開催いたします。1996年のタカ・イシイギャラリーでの初個展の開催から30年の節目となり、5回目の開催となる本展では、京都市下京区矢田町の土地にまつわる物語「伯牙山」[1] の故事を主題とした映像作品と彫刻作品を中心に、作家による書、舞踊、そして近年制作を続けている「箱」の中で繰り広げられる写真彫刻作品をあわせて展示いたします。
タカ・イシイギャラリー 京都が所在する下京区矢田町は、9世紀に始まった京都最大の祭事である祇園祭で祭具として使われる山鉾のひとつ「伯牙山」を守り継いできた町であり、そのお飾り場でもあります。真松を立て、人形を飾ったこの伯牙山が表すのは、17世紀の中国・明時代の小説家 馮夢竜によって記された、ひとりの琴の名手、伯牙の物語です。京都で個展を開催するにあたって、花代は1,000年以上もこの地で語り継がれてきたこの物語に関心を向けました。
私が好んで使っている富士フイルムは、1934年足柄山で生まれた。カメラやカラーフィルムが一般的になったのは1960年代。そして半世紀も経たないうちにその文化は消えつつある。
私にとって日常を写す道具である写真機とフィルムは、日常的な存在でなくては成り立たない。
この映像のお話は、そんな世に悲観し、死にそうな金太郎がまさかりで自分の写真機を壊そうと試むるところへ、その昔に琴を割ってしまった伯牙が時空を超えて助けに来る。
果たして伯牙は琴を壊したことをその後、悔やんだであろうか。
私は理解する人がいなくなったら写真機を壊すのか、理解する人とは?
始まりは、中学生の頃に私が撮った写本群を見て、新潮社の矢野さんが写真集を作り、タカさんが展覧会を開いてくださったことだった。物心つく前から稽古を続けてきた舞踊も、お座敷のために日々の稽古をご披露する花柳界もそうであった。私が修行した花柳界はもうないが、日本舞踊の稽古は未だ続く。
私は成長の過程であまり変態しなかったせいか変わるという意味がよく分からない。よって日々与えられた営みをただ続けている。写真の消費文化が終わろうとしている今、写真を続けるのが物理的に難しい、でも心もとなく続けている。
今の世の中もとてつもなく心もとない。絶滅に向かっているのか。私は日々ただ踊り祈る。
2026年8月 花代(本展ステートメントより抜粋)
[1] 伯牙とは - 中国の明末期の小説家 馮夢竜の故事に、春秋時代に活躍した伯牙という琴の名手の物語がある。彼には曲の内容を大変理解してくれる鍾子期という友がいた。伯牙が高い山に登る気持ちで琴を弾くと、鍾子期は「すばらしい、まるで険しい泰山のようだ」と語り、伯牙が川の流れを思い浮かべて弾くと、鍾子期は「すばらしい、まるで広大な長江か黄河のようだ」と語った。鍾子期が死ぬと、伯牙は琴を弾くに値する人がいなくなったと思い、琴を壊して絃を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。またこの故事により親友を「知音」ともいう。
本展で展示する映像作品は、伯牙の物語、そして花代自身の表現手段であるカメラとフィルムをめぐる物語を重ね合わせて構想されました。花代の創作の基盤となるフィルムの衰退の影響による心の揺らぎと、場所と土地の記憶において自分の身体を使って実験するという日々の変わらぬ営みの反復という、不安と美しさと儚さが交錯する花代の作品世界が展開されています。映像作品は斎藤玲児とのコラボレーションにより制作しています。
クロージング・イベントとして、9月27日(日)に木村友紀とのアーティスト・トークを行います。
詳細は追って告知いたします。皆様のご来場をお待ちしております。
Taka Ishii Gallery Kyoto(タカ・イシイギャラリー京都)
https://www.takaishiigallery.com/jp/
京都府京都市下京区矢田町123
tel:075-366-5101
