EXHIBITION | TOKYO
アルフレド・ジャー(Alfredo Jaar), 和田礼治郎(Reijiro Wada)
<会期> 2026年1月21日(水)- 4月18日(土)
<会場> SCAI PIRAMIDE
<営業時間> 12:00-18:00 日月火水祝休 *1月21日(水)は開廊
崩れかけた世界の臨界で活動する二人のアーティストが、明晰でありながら破綻の気配を孕む不安な構成のうちに出会います。アルフレド・ジャーは、政治的な危機が生み出す情報の偏りや不均衡をミニマルな視覚言語へと翻訳し、隠された権力構造を浮かび上がらせるアーティスト・写真家として知られています。一方、和田礼治郎は、オブジェの腐敗や衝突など、かたちが崩れ変容するプロセスを作品に取り込み、環境を静かに攪乱させる彫刻的な場として提示します。ジャーの政治的ミニマリズムと和田の形而上的な物質性のあいだにひらかれる本展は、世界を考え、想像しようとする私たちの思考のあり方がどのように形作られてきたのかを見つめ直す機会となります。
ギャラリー空間に静かに浮かび上がるのは、アルフレド・ジャーのネオン作品《TONIGHT NO POETRY WILL SERVE》(2023/2025)です。ジャーは、フェミニスト詩人エイドリアン・リッチから引用したこのフレーズを、ロンドンのピカデリーサーカスやソウルのCOEXスクエアなど、大規模デジタル・ディスプレイに投影し、公共への呼びかけとして展開してきました。いかなる美的論理も対処できない現実を前にして、芸術の無力さを問いかける本作は、感傷を剥ぎ取る冷徹で白い光で輝き、詩の一節であると同時に、抒情の誘惑をあえて拒み、言語がもはや現実の惨禍に応じる能力の限界に達していることを示唆しています。同時に、屋外のサイネージからネオンとしてギャラリーへ再配置された本作はまた、同一の言葉を異なる条件のもとで置き留めるための構造的な引用としても読みとれます。
床に均等に並べられた四つの黒い額縁によるインスタレーション作品《1+1+1+1》(2025)は、ドクメンタ(1987)で発表した初期作品をもとに本展のために再構成されたジャーの新作です。金箔であしらった豪華な額縁に、困難な状況に置かれた子どもたちの写真と鏡が対をなしていた旧作とは異なり、本作では、黒に塗られたパネル、空っぽの額縁、入れ子状に繰り返すフレーム、そして鏡が嵌め込まれたフレームが組み合わされ、美術作品を「観る」という行為そのものを問うジェスチャーとして提示されています。鑑賞者は静かな行き詰まりのなかに留め置かれ、空虚と自己像を往復させる認識の運動によって、「展示空間の政治性」を描き出す装置として立ち上がってきます。
和田礼治郎の新作《PORTAL》(2025)は、風景・光学・エントロピーへの持続的な関心を踏まえながら、その彫刻的構成によって見慣れた世界の輪郭を静かに解体していきます。ジャー作品に呼応するかのように配置された一辺1.2メートルのフレームは、天地逆さまに据えられた、ブロンズ製の枯れた葡萄の木によって支えられています。二枚の強化ガラスで密閉されたフレームのなかには透明なグラッパ(ワイン製造後に残るブドウの搾りかすでつくるイタリアの蒸留酒)が流し込まれ、わずかな負圧を生じさせることで、ガラス面を通過する光に微細なたゆみが生まれます。向こう側の景色は比喩ではなく光学的に震え、空気は緊張し、どこか希薄になったかのように感じられます。物質の終わりやサイクルを示唆しながら、葡萄の生命力は実体を失った死後のエネルギーとして静かに昇華していきます。
本展は、光、ガラス、金属が、現在の緊張を映し取る媒体として編成され、四角いフレームへの形式的参照が繰り返し現れます。政治的な解釈と素材を通じた含意が交差し、あらゆる視覚的経験は、あらかじめ与えられた制約のもとで構造化され、特定の見方へと導かれていることが示されます。「フレーム」を通して見るということは、自身の視点が、他者がどのような条件のもとで立ち現れるかを、どのように構築してしまうのかを直視することでもあります。本展は、あらゆる出会いが、潜在的な境界によって媒介されていることを、空間に対峙する鑑賞者と彫刻の関係を通して立ち上がらせているのです。
SCAI PIRAMIDE(スカイピラミデ)
https://www.scaithebathhouse.com/ja/gallery/piramide/
東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル 3F
tel:03-6447-4817
