EXHIBITION | TOKYO
松澤宥(Yutaka Matsuzawa)
「私の死一色による美術、言語による美術」
<会期> 2025年10月4日(土)- 11月29日(土)
<会場> Yumiko Chiba Associates
<営業時間> 12:00-19:00 日月祝休
この度、Yumiko Chiba Associatesでは、松澤宥による個展を開催します。
松澤宥(1922-2006)は、長野県諏訪郡下諏訪町に生まれ、同地を拠点に国内外に芸術を発信しつづけた、観念美術の先駆者です。
松澤は、少年から青年期までの多感な時代を、満州事変から太平洋戦争、そして敗戦をむかえる日本の激動期に過ごしました。彼の芸術に通底する物質への検討や、文明に対する批判は、この青年期までの原体験を背景にしていると言えるでしょう。
彼は生涯、眼に見えないものを世界のあらゆる人に伝達することを目指して、表現活動を行ないます。その表現は、詩に始まり、絵画や立体としての「色による美術」へと変化し、1964年以降は「言語による美術」、つまり物質として実体を持たない美術表現へと移行していきました。
1950年代、松澤が「美術文化協会展」や「読売アンデパンダン」展に出品した作品は、自らの思索を「色」によって表現したものでした。松澤は絵具材料の実験を繰り返し、クレヨンや蝋、煤、泥、塗料など、多様な材料を試しています。多様なマチエールの重層、両界曼荼羅から着想をえたマンダラ形式や、記号の利用などを特徴とする独創的な絵画制作を展開しました。
1964年6月1日、「オブジェを消せ」という啓示を受けた彼は、現代文明に対する全否定の方法論、アンチテーゼとして、オブジェを棄て言葉だけで美術作品を制作することを決意します。
以降、1960年代の松澤は「観念」を展示する実験的な試みを重ねていきます。『美術ジャーナル』51号(1964年10月号)の広告欄に発表された《荒野におけるアンデパンダン’64展》は、伝達と表現、そして観念をめぐる松澤の最たるアートワークと言えます。また、展示空間自体を観想空間とすることを試みた内科画廊での個展における《ああニルああ荒野におけるプサイの秘具体入水式》など、個展やグループ展で次々とユニークで革新的な作品を発表していきました。この時期の「言語による美術」では、鑑賞者を観想の世界へと誘うかのように、松澤宥の美術論が詩的に展開されています。
1970年の「第10回 日本国際美術展(「人間と物質」展、東京ビエンナーレ)」で発表した《私の死(時間の中にのみ存在する絵画)》は、展示室の「空間」そのものを利用して、鑑賞者が通らざるをえない通路に文章を掲げることで、人びとに観想を促し、その心の中に呼び起こされるイメージを「絵画」とするもので、この時期の松澤の観念美術を代表する作品です。
本展では、1950年代の美しい色彩とマチエールをもった「色による美術」、1964年に「オブジェを消せ」という啓示を受ける前後に制作された初期の「言語による美術」、そして、松澤宥の観念美術作品の代表作である1970年の《私の死》をご紹介します。松澤宥による観念美術のエッセンスをお楽しみください。
*本展においては、美術史家の富井玲子さんに多大なるご協力をいただきました。
私の美術の作品、観念美術の作品というものは、心の中で作るもの、従って視覚ではなく、「肉体で見る視覚」ではなくて、「心で見る絵画」と言いましょうか。
——松澤宥「私の作品—言葉による絵の作品」(『人生読本』(NHKラジオ第一放送)第1回 1980年7月7日放送)より
決意しました。私はこれだと。現代文明に対する全否定の方法論、アンチテーゼはこれだと。1964年6月4日でした。私は私の美術作品をその日以後文章だけにしました。
——松澤宥「私の作品—オブジェを消せ」(『人生読本』(NHKラジオ第一放送)第2回 1980年7月8日放送)より
Yumiko Chiba Associates (ユミコチバアソシエイツ)
http://ycassociates.co.jp/
東京都港区六本木6-4-1 六本木ヒルズ ハリウッドビューティープラザ 3F
tel:03-6276-6731
