小河朋司展 ―On a grassland―
2006年11月20日(月) - 29日(水) 12:00 - 19:00(日曜休廊)
NPO法人 アート・インタラクティヴ東京
http://www.artinteractivetokyo.com/
■関連企画 : 作家との対話(展覧会会場にて)
11月20日(月)19:00より、天野一夫との対話をします。
会員無料 一般参加¥300- 要予約 (電話またはメールでお申込み下さい。)
皆様のご来場をお待ちしております。
NPO法人 アート・インタラクティヴ東京
http://www.artinteractivetokyo.com/
東京都港区西新橋1-4-12 長尾ビル7F
TEL:03-3593-7274

2006.O-L(optical-limit)-bubble beat-Green
50×50×5cm アクリル板、アクリル絵具
On a grassland
-Can you see the rabbit in the moon - -
optical-limit シリーズ
作品の反射した色彩は光そのもので、近づくと形象は見えにくくなり、ある距離に離れる事により形象が浮かび上がる。それは網膜を刺激する作品。例えば『月』を眺める時のような。月は世界各地で、ウサギやカニ、読書をする女の人など、見立てられた物語は多い。作品の二重になった構造は、表面と反射した色彩を視覚的に絡めながら、見る事から観る事へ、感覚を誘ってくれるのである。
色彩は現実空間の中で『新しい月』となって浮遊する。何が現れるか?もしかしたら、ウサギが現れるかもしれないし、あなたの中に眠っている何かがみえるかもしれない。そして、色彩とイメージは時空の間で現象を発し続ける。あたかも水面に映りこんで浮かんだ月のように、それはそこにはないけれど、確かに、そこにある。探しにいらして下さい。

2006.O-L(optical-limit)-bubble beat-red
100×110×5cm アクリル板、アクリル絵具
像の招来 2006.小河朋司のために
そこではかつてイメージは秘匿されていた。
多くは箱型の白い立体物から、色彩が淡くその自らの周囲に溢れ出しているかのような作品であった。人々は一様にライトアートのような色彩の発光をかんがえたものだが、その経験は昼見る夢のように、あまりにも淡く繊細で、白日の下で色光はわれわれに不可思議の認識を与えるものでもあった。それは裏側に何種もの蛍光色などのアクリル絵具で描かれたものが、リフレクションして周りに発光しているものであった。実は意外にも奔放なタッチによる描写は一方で慎重に色と色との映発をかんがえて塗られていて、その色彩どうしの混合が、いわばひとつの影として放散されて送り届けられていた。つまり光の投影機である白い箱の裏側の多色のカクテルをわれわれは受け取り再びの再構成をすすめていたのであり、あの新印象派の色彩分割の絵で主張されていた脳内での混合の理論を想起させるものであった。
しかしはたして直接見ることのないその裏面にはどのようなイメージがあったのか?それは必ずしも具体的な描写のことを言っているのではない。そのような蜃気楼のような、不確定な柔和な色光の採取箱のような経験そのものを結果する作品制作時に、作家は裏に描く際、その先に何らかのイメージが想定されていたのだろうか、ということである。そこではある幻影のごときものの招来を見ていたのだろうか。
今日、われわれは、小河作品に、ある具体的な表象を見いだすことだろう。おそらくは今回も展示されるであろう作品のように、浅い奥行きの二重のアクリル面が合わされている。そこに色は確かに見えている。ただしそれはいささか不明瞭であるだろう。実はここに見る縞状のスリットの入る手前の面の裏側に、アクリル絵具で色が描かれているのだ。かつての箱状の作品時と同様、裏にある色光はここでもスリット部に放たれ、そこを通して見える向こう側の面の画像の受容に影響を与える。かつてのものに比べれば直接一方の色面は露呈している。それにともなって、作者のイメージはにわかに出現しようとした。いや、それゆえの色面の表、裏の多重化なのだろうか。しかしそのイメージも雲状の、星雲状の曖昧なものが多いように思われる。それはこれまでの作品で期待し実現された幻影のごときもののイメージなのだろうか。つまりはトートロジー(同語反復)のような作品。しかし、そこには時に椅子や階段の形を具体的に物で表し付すことすらあったのだ。物質化することによる齟齬がそこに見えてきた。そして確かに魅惑的な色彩であろうとわれわれは表面的な色彩の甘美さに紛れずに、見ることそのものの不可解さの直中に生きるべきなのだ。
一般にレイヤー(層状)となった作品は今日の映像化した絵画によく見られる特色にもなっている。小河はその中で、実際上のレイヤー作品をこれまで作ってきた。そのことの現象性じたいが訴求する力こそが意味があったのであり、イメージそのものではない。しかし同様に色光を通してむしろ対象性の不確定性の直中で観照者の、認識そのものを問うあのジェームズ・タレルにはない、あるイメージ性との関連と一つの闘争こそが作家のオリジナルなものとなるかも知れない。タレルに通じながらもタレルとは異なる点に、小河があくまでも絵画というものを中心軸として思考してきていることであろう。あの非実体的なものの顕現じたいがイメージ的なものであったのであろうか。そのあわいの中に人は何を見るのであろうか。それは作家が、では無い。観照者が、である。そのための入れものとして、作品はあるだろう。そのためには作品はそこに見えていて、見えていないものとして在るだろう。記憶の放散の場となるために。その時、どのような<絵画>が在りえるのか。そのことをおいて意味は無い、とさえ言いたい。
天野一夫 (美術評論家・京都造形芸術大学芸術学部教授)
同時期に、下記でも小河朋司展が開催しています。
■小河朋司展
2006年11月13日(月) - 25日(土) 11:30 - 18:30(日曜休廊)
ギャラリーなつか―オフィススペース
http://homepage2.nifty.com/gallery-natsuka/natsuka/schedule.html
東京都中央区銀座5-8-17 ginzaplaza58 8F
TEL:03-3571-0130